超心に刺さってイヤでも印象に残るプレゼンの方法 | hajipion.com

こんにちは。大学生のとき彼女に1週間でフラれて、何がダメだったのかきいたら

「告白がうますぎて付き合っちゃったけど、ホントは生理的に無理だった」

と言われた広野です。
僕以外全員ブサイクであれ。

さて、今回は「どんなに勝ち目がなくても絶対にウンと言わせる告白の方法」 いやいや、「超心に刺さってイヤでも印象に残るプレゼンの方法」です。

自分は学生の頃から今の会社(FOLIO)を創業するまで、ハッカソンやアプリコンテストで30を超える賞を取ってきました。

面白いアイデアやそれを実現するテクノロジーはもちろんですが、僕が最もこだわりを持っていたのは「伝え方(=プレゼンテーション)」です。

最近会社のフェーズとしても水面下ではなくなったので(2年間水面下だった話はこちら)、わりと登壇の依頼も来るようになり、ありがたいことに今年出させていただいたUI Crunchに関しては大変評判よく、今になっても嬉しい言葉をたまにちょうだいします。

せっかくなので、プレゼンにおける自分なりのこだわりの一部を言語化してみました。

なお、今回記すのは「プレゼンの方法」であって、「スライドの作り方」ではありません。

スライド1枚に1つの意味だとか、アニメーションで視線誘導しろだとか、そういう感じのことは別の記事を参考にしつつも、実際の登壇の際にこの記事を参考にしてくだされば幸いです。

以下、敬体だと冗長になるので常体で記載。

はじめに:「登壇ならでは」を意識する

まず大前提の心構えとして、「登壇ならでは」を意識することは非常に重要。

プレゼンは、用意する側の大変さとは裏腹に、聞く側にとっては別に聞いても聞かなくてもどっちでもいいものだ。
だってあくまで他人の話。

なんなら、あとで公開されたスライドをSlideShareとかで見る方が面倒じゃなくていい。

むしろその方が、自分の好きな場所で好きなタイミングで好きなようにページ送りできるし、移動時間や体力、参加費などを無駄にせず「いいとこどり」にそのプレゼン内容を享受することができる。

だからこそプレゼンターは、その場にいる人に「来てくれてありがとう」と感謝の気持ちをこめて、その場に来なかった人以上の体験を与えなければならない。

これは、聞き手の時間を奪って話をするプレゼンターの最低限の義務なのである。

序盤から余談になってしまうけれど、僕の好きな作家のひとりに、西尾維新というメフィスト系の作家がいる。

彼の作品はおしなべて「小説ならでは」を意識しており、特に「化物語シリーズ」では、言葉遊びというより文字遊びや文体遊びによって、小説でしか通じない、すなわち「アニメ化不可能」と感じさせてしまう工夫を入れてくる。

驚くべきは、この作品がシャフトというアニメーション制作会社により実際にアニメ化された際、監督である新房氏がその西尾維新のこだわりを理解しリスペクトした故に、「化物語」というアニメ作品においては「アニメという映像表現でしかなしえない演出=アニメならでは」を実行したことだ。(詳しくは3日間寝れずに語れてしまうので割愛)

ちなみに同じく西尾維新原作の「めだかボックス」という漫画作品も、「漫画ならでは」な技法が散りばめられており、これも映像化するとき難しいだろうなと思っていたら、制作会社はシャフトじゃなかったし、普通のアニメに成り下がっていた。

その媒体、その時、その場所、その人ならではの表現は、時にその作品内容よりも重要となることが往々にしてある。

プレゼンという情報伝達手段においても、それは例外でないことを、僕たちはゆめゆめ忘れてはならない。

印象に残るプレゼンにするための3つの方法

1. 音による演出で聴覚を支配する

よく例に出されることだが「スライドに書いてあることをそのまま読んでしまう」ことは最悪の行為である。

これは普段の社内会議とかでも同じことが言える。

たとえば大きな会社で部署の売上報告を社長にプレゼンするときを考えても、全てのデータを細かくいちいち報告するよりも、それは別途資料として提出した上で、スライドにも事実やデータをリストとして記載した上で、ポイントのみを口頭で話すべきであろう(もちろん会社によるが)。

要は「見りゃ分かることをわざわざ口に出すな」ということだ。

だから、人様の時間をちょうだいしてそこに登壇している限り、プレゼンターはSlideShareにはない要素・体験を提供しなければならない。

そのひとつが「音」だ。

しゃべるときの音声
スライドに盛り込むBGM
要所要所で入れる効果音など、

あらゆる「音」に工夫を凝らして視聴者の聴覚を支配すること。

 

 

 

いきなり大声をだしてみたり!!!!!

 

 

 

と思ったら急に囁いてみたり…

 

アホみたいな効果音で空気を和ませたり、
壮大なBGMで心を動かしたり、
指をならして注意を引いたり。

音で人を引きつけるやり方はいくらでもある。

特にBGMは、使えるシーンは限られるけれども、そのプレゼン自体の世界観をつくったり臨場感を煽れるだけでなく、聞き手としては「どういう思いでそのプレゼンを見ればいいか」が分かりやすいのでオススメだ。(ほとんどな人は感動的なBGMが流れると無意識に感動モードに入る!)

聞き手の心理的負担を減らすために演出を凝らすのも、プレゼンターの役割である。

僕の場合はつくったものを紹介するときの発表によくBGMを使い、そのプロダクトのプロモーションビデオを流しているような心持ちでプレゼンしている。


(プレゼンの動画は残っていなかったが、当時Mashup Awardsでおこなったプレゼンの構成やBGMを用いてそのままプロモーションビデオにしたもの)

プレゼンというとスライドばかりに目を向けてしまうが、軽視しがちな「音」こそが最も重要なのだ。

あの悪魔の演説で世界的惨劇を生み出したヒトラーも、視覚的にはナチスのカッコイイ軍服で若者にアピールし、一方で演説の際には聴覚を支配し聴衆の心を奪ったと言われている。

(もちろんこの記事は、歴史におけるヒトラーを支持するものではないが)

彼はスピーチをする際、現代の校長先生のように聴衆が静かになるまで黙りこみ、静かになり始めてから訥々と言葉を発し始める。

 

理解しやすい話の構成。

繰り返されるキャッチフレーズ。

ユダヤ人という分かりやすい仮想敵の連呼。

背後に流れるのはリヒャルト・ワーグナーの壮大で勇敢なオーケストラ。

ドイツ魂を揺さぶり起こす「ハイル・ヒトラー!」の掛け声。

 

聴衆が心を奪われたのは、そのように耳から入ってくる「物語のような音」なのだ。

そう、プレゼンにおいて聴覚を意識するということは、ただ音声を発することではなく、物語に没入させることなのである。

2. 静寂こそを利用する

僕は3歳くらいからバイオリンを習っていたが、その師匠が教えてくれたことのひとつに、

「休符は休みではない。休符という音である。音であれば、休符だとしても大事に弾きなさい。」

という教えがあった。

それは単に休符をちゃんと数えろという話ではなく、その休符さえ「聴かせる」ということ。

音の響きをあえて急に止めたり、
息継ぎでその休符を観客に意識させたり、
一度弓をあげて「存在しない音を弾く」そぶりを見せたり。

そうやって休符を「単なる休みとして取り扱わない」ことで、その休符さえ曲の一部として観客に届けることができていた。

その教えを僕はプレゼンという場にも適用している。
つまりある意味、プレゼンを演奏だと思っている。

自分のプレゼンを例に出すと、UI Crunch で登壇したときのプレゼンでは「休符」を究極的に意識し、緩急を付けて話したものだった。


UI Crunch ライブ映像「法とクリエイティブの対位法」 より)

クレッシェンドでだんだんと大きくなり、口調も強く声のボリュームも大きくなって、テンションが最高潮に達した次の瞬間に急に黙る。

その静寂は、今までの騒々しいテンションとの差異を明確にし、聞き手をドギマギさせるだけでなく、今までの怒涛の言葉攻めの意味を整理する時間でもあり、そして次にどんな言葉を口にするのかを期待させる、あるべくしてある静寂なのである。

逆も然りで、僕はよくプレゼンにおいて「一番言いたいこと」の前に急に静かになり、静寂を作り、ざわ・・・ざわ・・・と何かが起こりそうな雰囲気を醸し出し、注意を惹きつけた上で、ここぞとばかりの大声でその「一番言いたいこと」を叫ぶことがある。

この差異こそが重要なのである。
静寂があるが故に、言いたいことが際立つのだ。

僕は普段デザイナーとして働いているが、デザインの世界でも「マージンをいかに上手く使うか」こそがデザイナーとしての腕のみせどころだとよく言われている。

空白は「何もない」のではなく「”何もない” がある」のだ。
「”何もない” がある」から、それによって存在する要素が際立つ。

休符も「音がない」のではなく「”音がない” がある」のだし、
「”音がない” がある」から、それによって存在する音がより目立つ。

一方で、静寂が一切必要ないPrestoなプレゼンが最適な場合もあるだろう。
短い時間で多くの情報を伝えて誰かの印象に残らなければならないとき(たとえばハッカソンの発表)なんかはまさにそうだ。

僕自身もハッカソンの発表ではいつも他の発表者といかに違う伝え方ができるかを考えつつ、審査員の理解力を信じて早口で伝えることが多い。


(2年前Hack Day Japanでグランプリとったときのプレゼン。1:38:00〜

でもこれだって、僕に言わせれば「”静寂がない” がある」のである。

3. ト書きさえ用意し演じきる

プレゼンターであるあなたは、話し手として聴衆の目の前に立ち、壇上に立っている。

聴衆は静かにプレゼンターを見つめ、あなたの放つ言葉に耳を傾け、何かを期待して受動的な観測者になっている。

となると必然的にこう例えることができる。

そこは舞台であり、あなたは主人公なのだ。

スライドを読み上げるだけの公開音読タイムにせず、ストーリーを伝えるための演劇をやっているのだと意識すること。

「プレゼンで緊張しないためにはどうしたらいいか」とよく聞かれるが、自分という人間を背負ったまま喋ろうとするから緊張するのだ。

演じるべし。

あなたはプレゼンターという「役」になりきり、スライドというひとつの視覚的情報伝達手段を使いつつ、時には音楽で臨場感を煽り、時には自らの声を荒げながら、静寂や沈黙さえ台本の一部として取り扱い、用意していた「ト書き」をもとに演じきらなければならない。

通常Keynoteには「発表者ノート」に台詞のみを書くことが多いだろうが、僕はすべてのプレゼンにおいて「ト書き」も必ず記載して用意している。

加えて、ト書きにも書ききれないが、あらかじめ決めていることもいくらだってある。

息継ぎのタイミングだとか、
文節間のリズムだとか、
呼吸の回数だとか、
放つ言葉の音階だとか。

すべてをイメージし、そのイメージ通りになるまで練習し、そしてそれがいつでも再現できるようになるまで特訓する。

まるでそう、モノマネ。

「理想的な自分」のモノマネ。

それが舞台で演じるということだ。

UI Crunchの例ばかりで恐縮だが、あのプレゼンの中では最も言いたいことである「デザインだ!」という言葉があった。

UI Crunch ライブ映像「法とクリエイティブの対位法」 より)

この言葉に関しては、「デ→ザ↑イ→ン→だ↓!」という言い方自体は決まっていたものの、どの音階で叫ぶのか、どの音程で伝えるのかというところを最後までうんうん悩み、何度も何度も試行錯誤し、最も心に刺さる音階を決め、その音階を再現できるように意識して本番に臨んだのである。

正直自分でもキモイとは思うので(彼女が「生理的に無理」なのもうなずける)、そこまでしろとは言わないが、よほどの天性を持たない限り、練習なしのぶっつけ本番で「演技」しようなんて土台無理な話なのである。

自分自身の声を、想いを、魂を聴衆にぶつけるために、目が悪くなるまでスライドと向き合い、声が枯れるまで練習し、頭がバカになるまで伝え方を考え続けた者だけが、人の前に立つことを許されているのだ。

おわりに:「”いま、ここ、わたし” ならでは」を意識する

最後のポイントで「ト書き通りに演じろ」と記したが、さらにステップアップで人を惹きつけるために必要なのは、「台本通りに演じない」ことだ。

ト書き通りに演じる(息継ぎのタイミングやリズム、言葉の音階までも再現する)だけでも難しいことだが、しかし冒頭でも触れた「登壇ならでは」を忘れてはならない。

再現性の高さだけが求められるのであれば、何回か自分を動画で撮って一番うまくできたやつをYouTubeにでもアップロードしておけば話し手は完璧な作品を提供できるし、それを家で寝そべりながら見たほうが聞き手にとっても楽でよかろう。

しかし求められているのは再現性だけではなく、唯一性である。

それは他者と比べての「存在」の唯一性に限らず、むしろその時、その場所にいることの唯一性こそが重要なのだ

すなわち「”いま、ここ、わたし” ならでは」を意識すること。

その時、その場所で、目の前に自分の声を聞く聴衆がいるのであれば、プレゼンターに必要なのはアドリブ、もしくはインタラクティブな仕掛けを入れるべし。

 

聞き手の反応にツッコミをいれたり、(わかりにくくボケたあとに「ここ笑うところなんですけど…」

会場でアンケートをとって感想をいれたり、「会場の中で○○使ったことある人!え、ほとんど使ってるの?!みんなミーハーだな…」

自分より前に発表していた登壇者のネタを使って笑いをとったり、(芸人が漫才番組とかでたまにやってる)

その日ならではの時事ネタをかましたり。「飲み会のときこういうアプリあったら面白いですよね〜。まぁスマホばっかりいじってるとお相撲さんに瓶ビールで頭殴られますけどね!」元ネタ

 

一方的な演説ではなく、聞き手との対話を実現するのがプレゼンの理想だ。

ここではわかりやすいのでボケとかツッコミとか笑いをとる例を多くいれたが、やはり印象に残るための王道は「面白かった」と思わせることなので、必ずしも偏りすぎた例ではないと思う。

アドリブな笑いは好まれやすいのだ。

あらかじめ用意した台詞だけでないプラスアルファな唯一性(=アドリブ)をプレゼンに持たせると、「忙しい時間を縫ってここに来てよかった」と思われるだけでなく、余裕があるプレゼンターだと思わせることができ、聞き手はよりプレゼンに耳を傾けてくれるだろう。

また、アドリブといっても、別に即興力が必要なわけじゃない。
おかしなことを言うが、アドリブをあらかじめ用意しておくことだってできる。

自分もよく、(アンケートを取って会場の皆が何人以上手をあげたらこう言う、何人以下だったらこう言う……)と登壇前にシミュレーションしているし、ぶっちゃけるとそれさえト書きとしてスライドの発表者ノートに書いてあるときだってある。

ださくて結構。
この泥臭く石橋を叩く準備こそが、聞き手に対する僕なりの敬意なのだ。

 

プレゼンは聞き手とのインタラクションの設計だ。

どの言葉でどういう反応をさせるかをすべて計算しておき、その計算から外れた場合も考えておき、どんなイレギュラーケースがおきても自分が描いていたゴールに向かわせなければならない。

その意味では非常に論理的思考や精神力が必要な作業となるが、人に何かを伝えるためにはそれ相応の覚悟と努力が必要なのである。

 

最後になるけれども、たとえば芸術品にも言えることだが、人は美しく完璧すぎるものをみると、逆に印象に残らない場合があると言われている。

短いプレゼンはまだしも、特に5分以上のプレゼンは、完璧すぎれば観察する集中力の方が先に切れてしまう。

だから僕たちが目指すべきは、

少し不完全でオリジナルな、より親しみやすいプレゼンであり、
聴衆もそのプレゼンに参加しているかのような、飽きることのないインタラクティブなプレゼンであり、
このプレゼンを聞きにこのイベントに足を運んでよかったと特別感を抱かせることのできるプレゼンなのだ。

 

今まで色々と偉そうに語ったけれども、あくまで参考に留めつつ、自分なりのプレゼンを極めてほしいと思う。

だって僕は、人それぞれの個性がそのまま活かされる「プレゼン」というものが大好きなのだから。

 

「登壇ならでは」、そして「”いま、ここ、わたし” ならでは」を意識した上で、
音による演出で聴覚を支配し、静寂こそを利用し、ト書きさえ用意し演じきる。

そんなプレゼンがどこかで聞けることを夢見て、
これからも色んなイベントに足繁く通いたいと思います。

 

少し早いですが、よいお年を!

 

 

 

※この記事は FOLIO Advent Calendar 2017 の6日目の記事でもあります。面白いのでフォローしてね!
※あとFOLIOは今 全職種で積極採用 してて、募集としてはまだ出してなけどデザイナーも探しています、ぜひ応募を!

Hajime Hirono

Written by

広野 萌(ひろの はじめ)

@hajipion

株式会社FOLIO CDO。
1992年2月京都生まれ、早稲田大学文化構想学部卒、ヤフー出身。
UI/UXデザインとコンセプトメイキングが得意です。
代表作に「inShade」「INTEMPO」など。

» 経歴・受賞歴・ポートフォリオ

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